日本の建築家 1〜ジョサイア・コンドルと東京大学〜|東京の建築設計

query_builder 2023/04/24
日本紀行
YDS

左上から時計回りに木戸孝允、岩倉具視、大久保利通、西郷隆盛(Wikipedia)

江戸時代から明治時代となり、明治新政府が発足しました。

新しい国家となった明治維新政府は「大いなる欧化」を推進しました。

大久保利通たちは、

「西洋に
追いつくのだ!」

西洋、特に欧州こそが目標でした。

オランダ・朝鮮・中国などとは公式な交易があったものの、おおむね「鎖国状態」でした。

そして、幕末から米国・英国などから条約を求められ、世界への視野が急速に開かれました。

YDS

左上から時計回りにH.Parkes英国公使、Matthew Perry米提督、Townsend Harris駐日米大使、Leon Roches駐日フランス帝国公使(Wikipedia)

世界への視野は、欧米の最新の科学技術・学問などの急速な輸入に繋がりました。

そして、建築もまた「西洋から直輸入」することになったのです。

YDS

姫路城(YDS建築研究所)

古来から日本には「大工」が建築家の役割をしていました。

いわば、大工が設計施工で建築を作り続けてきた日本。

対して、欧州は早い時期から「建築家の職能」が確立していました。

明治維新政府初期の「事実上の総理大臣」であった大久保利通。

大久保たちは

「悔しいが、
日本は大きく遅れている・・・

海外から、
学問はどんどん学ばねば!」

海外から専門の先生方をお招きした明治政府。

「お雇い外国人」として多額の給与を支払い、学校を設立して、

「みなさん、
ぜひ日本に教えてにきてください!」

と海外から先生たちを招いたのでした。

YDS

建築家 ジョサイア・コンドル(Wikipedia)

ここで登場したのが英国の建築家ジョサイア・コンドル。

「OK!
私が西洋の建築を教えましょう。」

英国からは建築家ジョサイア・コンドルを招聘しました。

東京大学工学部の前身となる工部大学校を設立した明治新政府。


大久保たちは

「大工ではなく、
きちんとした西洋建築を設計できる

日本人の建築家を
育てるのだ!

コンドルさん、
お願いします!」

コンドルさんは

「OK!
Japanの若い人たち、

私が育てましょう!」

張り切って日本で教え始めました。

こうして、工部大学校 造家学(建築科)教師となったコンドル。

当時は、建築学科がなく、造家学科だったのでした。

そのコンドルの元から、東京駅を設計した辰野金吾ら大勢の建築家たちが羽ばたいてゆきます。

YDS

建築家 辰野金吾(Wikipedia)

「日本の建築家の生みの親」とも言える、ジョサイア・コンドル。

その影響は今もなお残っているのでしょう。

----------------------------------------------------------------------

株式会社YDS建築研究所

東京都千代田区神田三崎町2-20-7 水道橋西口会館6F

TEL:03-6272-5572


----------------------------------------------------------------------

NEW

VIEW MORE

CATEGORY

ARCHIVE

TAG