彦根城天守閣の木造軸組建築〜曲がった木材の梁が生む躍動感〜|滋賀・彦根城3・建築と旅

query_builder 2024/10/28
日本紀行
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比較的広い彦根城の城内を歩いて、本丸に到達しました。



現存12天守

・姫路城(兵庫県姫路市)

・彦根城(滋賀県彦根市)

・犬山城(愛知県犬山市)

・松江城(島根県松江市)

・松本城(長野県松本市)

・丸亀城(香川県丸亀市)

・丸岡城(福井県坂井市)

・宇和島城(愛媛県宇和島市)

・備中松山城(岡山県高梁市)

・高知城(高知県高知市)

・弘前城(青森県弘前市)

・松山城(愛媛県松山市)


日本に12しかない「「現存12天守」の一つである彦根城。

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徳川四天王の一人であった井伊直政が初代彦根藩主で、江戸時代を通じて特等席に座り続けたのが井伊家です。

現代、

「〜と〜と〜は
〜の御三家ね!」

このように、「特別な3人」や「格式が高い3つの学校」を御三家と呼ぶ風習があります。

この「御三家」は「徳川御三家」が語源であり、御三家は諸大名とは別格でした。

そして、井伊は御三家ではありませんが、「御三家に準じる家格」として江戸時代を生き抜きました。

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天守閣内部に入ると、無骨な木造の梁が見えてきました。

現代建築では製材されて「長方形断面」となることが多い梁は、当時は「そのままの形」で使われていました。

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製材された形状の梁もあり、「これぞ木造建築!」と感じられる雄大で無骨な空間です。

「別格の井伊」を具現化したような柱・梁の空間です。

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梁と梁が交差して、立体状に組まれています。

これらの接合は多くは継手仕口で作られており、釘などは「ない」か少ないと思われます。

しっかりと合理的に組まれている構造です。

現代の建築設計のように「構造計算」は出来なかった当時は、大工たちの経験と勘で建築されました。

なかには、上の写真のように「躍動しているよう」にも感じられる木製の梁がありました。

湾曲した木の特性を活かしたデザインです。

おそらく、当時はデザイン・意匠的発想よりも、構造的な合理性を優先したと思われます。

柱は曲がっているわけにはいかないので、

「真っ直ぐな木材は
出来るだけ柱に使って・・・

少し曲がっていたり、湾曲した
木材は梁にしよう・・・」

このように当時の大工が考え、「曲がっている木材」が梁として使われたのでしょう。


周囲を加工しているとは言え、木の形をそのまま構造材としている梁をみると、

「事前にある程度形状を測定して、簡単な図を作成して工事したのか?

あるいは、曲がった梁は
現場調整して、接合していったのか?」

このように、実際にどのように工事がされたのか分かりませんが、実に雄大な構造です。

おそらく「現場調整」の割合が高かったように思われます。

現代は、3D-CADなどでいかなる形状のデザインも可能ですが、当時の大工たちの能力は素晴らしいです。

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断面の大きさや形状が似ている曲がった梁が組み上げられ、その上部は製材された木で屋根が組まれていました。

梁の上に梁が乗り、その上にさらに梁が乗っている構造です。

「ここは少しスパン(当時は別称)が
飛んでいるから・・・

このように梁同士を重ねて
組めば、しっかりする!」

このように立体的思考で、大工は工事を進めたと思われます。

「戦うこと」を念頭に置いていた城郭建築では、籠城戦の際に鉄砲を打ち出す鉄砲狭間もあります。

戦国期には鉄砲だけではなく、大砲も登場していたので、「大砲にも耐えられる建築」が求められていました。

頑丈な構造を見ると、「敵の様々な攻撃に耐える」という設計思想も感じられました。

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当時の大工たちの設計思想が、とても良く分かる彦根城の訪問でした。

純粋に建築だけでも大いに楽しめますので、ぜひ彦根城を訪問してみてください。

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