古来の軸組建築が楽しめる上田城〜真田幸村の兄真田信之と「真田石」〜|上田城2・建築設計と旅と歴史

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日本紀行
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真田らしい堀を通ると、事実上の正門である東虎口櫓門に到達します。

ここから、上田城内に入ってゆきます。

上の写真で、左上に見えるのが櫓で、櫓は城の各地に屹立し、戦闘の際には重要な役目を果たしました。

周囲から見える位置にあるため、城郭建築の意匠としても、櫓は重要な存在です。

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江戸時代の上田城には、七棟の櫓があったと伝えられています。

昭和初期から少しずつ復元されてきた上田城には、現在は三棟の櫓を持ちます。

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門の近くには「真田石」と呼ばれる巨大な石があります。

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かつて、上田城付近に蟠踞していた真田家。

真田家は、徳川幕府によって現在の深代に移動を命じられました。

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その際、「父の形見」として当時の藩主・真田信之は、

「せっかくだから、
松代に持ってゆこう・・・」

こう考えたものの「微動だにしなかった」伝説があります。

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真田信之は、著名な真田幸村(本名は信繁)の実兄です。

この真田石の伝説は「真田らしい」ですが、確かに、これだけ巨大な石を移動させるのは大変です。


重機等がなかった、戦国時代において、様々な石垣が組まれました。

「てこの原理」などを利用して石垣を作りましたが、人力で、これらの巨大な石を移動した技術。

そして、巨大な石同士によって石垣を生み出す技術は、現在から見ても非常に高いです。

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東虎口櫓門の木製の門は、端の方の色が薄くなっていて、歴史の風合いを感じさせてくれます。

門から上田城内部に入ってゆくと、正面に真田神社が広がっています。

階段を上がって、東虎口櫓門の内部に入れるので、行ってみました。

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この東虎口櫓門の内部の空間は、移築と復元ですが、日本古来の木造軸組建築で作られています。

柱は角材に製材されていますが、梁は丸太のままで、昔の木造建築の作りのままです。

このように、城郭建築などで昔の軸組建築を見られるのは貴重です。


犬山城や彦根城などのように、昔の天守閣が現存する場合は、「木造であること」は当然です。

「現存する昔の木造建築」ですが、維持するのは、大変な手間と費用がかかります。

城郭建築の復元は、鉄筋コンクリート造として復元されることも多く、大阪(坂)城や清洲城があります。

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昭和初期から、移築と復元が行われ、整備されてきた上田城。

ここでは、とことん木造軸組による建築を楽しむことができます。

梁の中には、柱ほど角ではなく、ある程度製材された梁も見受けられました。

床や屋根を支える、根太や母屋を組む木材は、細い丸い木材がそのまま用いられていて、木造建築の風合いを楽しむことが出来ます。

美しい信州の山々の中に建つ上田城。

ぜひ、訪問してみて下さい。

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