都市や建築の歴史が深みを与える旅の経験〜大坂から大阪へ〜|東京の建築設計
国内・海外、いずれも旅が好きな方は数多くいらっしゃいます。
大学で建築学科を専攻して以来、国内外の数多くの建築や都市・街を訪問しました。
それらの一つ一つの旅が大きな感激を呼び、歴史ある建築でも現代建築でも名建築と呼ばれる建築を訪問して、
「ここが、
こうなって光が入ってきているんだ・・・」
など現地に平面図などの資料を持参して、いろいろ見るのが実に楽しいです。
楽しいだけではなく、大いなる学びとなるところが「旅の大いなる意義」となります。
数多くの建築を訪問して、実務を重ねると、図面と写真を見ればほぼ全容がつかめますが、
学生時代は、多くの建築を訪問して、「実際に見てみること」が一番大きな学びになります。
一番最初に「自分達の旅」で向かった先は北海道で、その次に京都と大阪でした。
高校一年生の時に、同級生の仲間と一緒に5名で京都から大阪までぐるっと回りました。
東京に住んでいる視点から、京都・大阪に行ってみると、この二つの大都市のあまりの近さに驚きました。
在来線でも、京都と大阪は「目と鼻の先」と言っても良いほどの近さです。
現代でも、東京都に次ぐ立場として、大阪府・京都府とこの二つの自治体のみ府という特別な位置にいます。
この京都と大阪という「非常に近くて、性格が異なる二大都市」によって、関西の歴史が紡がれてきたと言えます。
地図で改めて見れば、「京都と大阪は近い」のは分かりますが、こういう「近さ」は実体験することが大事だと思います。
実際に在来線で、大阪と京都を行ったり来たりすると、東京と横浜より近く感じます。
古来から、京・山城が中心であり続けた日本という国家の姿。
室町時代後期から戦後時代にかけて、大阪付近の堺が貿易港として大いに賑わい、大阪の地が注目されました。
歴史が大好きな僕は、大阪城を訪問することを心待ちにして、到着した際は、
「いよいよ、あの大阪城だ!」と気分が高揚したのを覚えています。
現代も豪華絢爛な感じの大阪城ですが、鉄筋コンクリート造の再建です。
豊臣秀吉が築城した大阪城は「大坂の陣」の時に消失したのを知っていましたが、
内部にエレベーターがあるのが、歴史好きの視点から考えると、少し残念に感じました。
現代、建築設計の立場から考えると「バリアフリーの観点」からエレベーターは必要です。
「現存12店天守」の彦根城のような城をイメージしていた、高校一年の僕。
この「木造の大建築」をイメージしていましたが、内部は「そっけない感じ」だったのを少し残念に思いました。
この「行ってみたら少し残念だった」という経験も、旅ならではの醍醐味だと思います。
旅へ行って、実際に様々な建築や都市・街を訪問してきて、ほとんどの場合は感動した経験があります。
この大阪城のように「思っていたのと全然違った」経験もありますが、
この様々な体験が詰まっているのが「旅の醍醐味」です。
「ネットや書籍で分かること」も沢山ありますが、現地に行って色々と見て、感じることとは全く異なります。
この意味でも、高校一年の時の「がっかりした経験」もまた、旅の面白さの一つです。
京都・奈良などには古建築が沢山あり、大阪・兵庫などには数多くの現代建築があります。
そのため、大学生の時も何度も関西、特に大阪と京都を訪問しました。
戦国時代に商業の中心地の一つとなりつつあった大坂が、江戸期に「天下の台所」となったのは、秀吉が、
「私の世となる
シンボルとなる巨大で豪華絢爛たる城を
大坂の地に建てるのだ!」
と考えて、天下統一が見えてきた頃から、
「大坂が豊臣家の
拠点であり、日本の中心!」
と考えたことが大きな理由です。
豊臣期大阪図屏風(Wikipedia)
この豊臣時代の大坂の賑やかさは大変なもので、まさに「日本最大の都市」であり、世界有数の大都市でした。
この頃、大阪は大坂と表記していました。
「さか」の字が異なっている「大坂」が明治時代初頭まで使われていました。
明治維新の立役者たち:左上から時計回りに木戸孝允、岩倉具視、大久保利通、西郷隆盛(国立国会図書館)
明治維新によって新政府が誕生した時、実力者であった大久保利通は、
「京都から遷都して、
大坂へ!」
と一時は考えるほど、大坂の地は重要でした。
結局、「江戸時代の政治機構がある」江戸を「東京=東の京都」と名前を変えて、新たな首都となりました。(首都奠都)
この頃は、徳川幕府を倒した原動力である「士族の扱い」が大きな問題でした。
実際、明治初期には士族による様々な反乱・戦争が各地で勃発しました。
「大坂の坂の字の編は、
武士の士だ・・・」
と考えた、大久保たち新政府首脳陣は、
「地名を大坂から
変更しよう!」
と考えて、大坂は大阪に変わりました。
この「大坂から大阪へ」は、僕が大学生になってから知りました。
日本の精神の中心である京都に寄り添うように、商業の大発展を続け、今もなお日本第二の都市である大阪。
延暦寺などとはまた違う視点で「深い意味と歴史」を持っているのが、大阪という都市です。
こうしたことを旅の前でも後でも知ると、旅の経験や記憶に深みが出ると思います。
「実際に訪れるリアルな体験」と「その建築・都市・街・村などの歴史」を思い起こす時、
旅の経験に大いなる深みが生まれて、その意義が大きくなります。
日本国内だけでも「訪問していない名所・都市・街」は数多くあります。
国内外の様々な建築・都市への訪問を続けたいと思います。
株式会社YDS建築研究所
東京都千代田区神田神保町三丁目2番地 高橋ビル4F
TEL:03-6272-5572
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